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哲学者梅原猛先生が賢治生誕100年に寄せた辞より [文学と哲学]

私は、普通の評論家と違って、宮沢賢治を夏目漱石よりもむしろ偉大な文学者と考えるものである。賢治の童話は決して子供のためのものではない。むしろ賢治は、自分の思想の必然性によって童話と云う創作を書かざるを得なかったのである。小説と云うものは人間を書くものであり、人間中心主義をなかなか免れる事は出来ないが、童話はその形式の必然上、人間中心主義を免れるものである。賢治の童話においては、動物や植物も人間と同じような心を持ち、人間と同じような言葉を語る。人間と他の生きとし生けるものが争い合い、殺しあいながらもなお共存し、互いに愛し合い、思いやる世界なのである。こういう世界をどうして小説に表現することが出来ようか。賢治の文学的表現はその思想の必然上、小説と云う形式をとらずに、童話と云う形式をとらざるを得なかったのである。…中略・・・全く無名のまま死んだ賢治が今や二十世紀前半の日本を代表する文学者となった。しかし私は、まだ賢治が理解されるのは今後だと思う近代と云う世界がどうにもならない壁にぶつかっていると云うことが多くの人に率直に感じられることが出来るようになればなるほど、賢治の作品は新しい世界への導きの師となると思う。新しい時代の導きの師となるような文学者は賢治以外にほとんどいない。今後ますます理解を深め、精神を失った現代の日本人に精神の灯を燃やすきっかけになることをいのるものである。 之は、本年Ⅰ月12日93歳にて此の世を去った哲学者梅原猛先生の文章から抜粋したものであります。長い文章でしたので勝手に省略抜粋してあります。 vcm_s_kf_m160_160x120.jpg vcm_s_kf_m160_160x120.jpg vcm_s_kf_m160_160x120.jpg vcm_s_kf_m160_160x120.jpg vcm_s_kf_m160_160x120.jpg vcm_s_kf_m160_160x120.jpg
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