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新コロナ蔓延後(post corona)の社会 NO2 [史実]

17世紀、ペストがロンドンを中心に再びパンデミックを引き起こした。其の影響で大学も閉鎖され,学位を得たばかりの若きニュートンも自粛生活を余儀なくされた。僅か一年半の間だが故郷で親の営む農場の手伝をしていた。そんな或る日、何時もの様に納屋に引き籠り体を休めていたニュートンは、壁の穴から差し込む光を見つけ、「差し込んでいる陽光は白いのに、なぜ壁に映る光は7色なのだろう?と、ふと思った。考え抜いた末、光の正体は屈折率の異なる線である事を発見した。だが、母親は息子の才能に気付く事も無く、農作業をさぼる怠け癖を嘆くばかりであったと言う。・・・ 此の僅か一年半の間にニュートンは「光学」の他「万有引力」や「微積分」と云った画期的な発見もした。然し、パンデミックが終わった後、大学に戻って研究に打ち込むが自粛中の様な大発見は無かったと云う。講義は下手で聴講性は少なく、人生の後半は猫を心の友として過ごしたとも云はれる。若し此のパンデミックが無かったら、ニュートンは20代前半の若さで、短期間に之等重要な発見を3つも成し遂げる事は出来なかったかも知れない。と語った東京理科大学・川村靖文教授の挿話が昨日の朝日新聞の「天声人語」欄に掲載されていた。・・・ 今回の新コロナ騒動も、運が悪ければ死を招く、恐ろしくて煩わしいばかりで規制の多い騒動で有り、其れを避けるには自粛等、負の遺産ばかりを想定しがちである。・・・ 然し、何故͡?此の様にウイルスが蔓延し、禍が収まった後に、決まって歴史上の大発見や画期的な新時代が到来したのだろうか?不思議に思っていた。・・・ 一方、此の様に大きな禍に見舞われた最中の自粛は、誰もが嫌う、ウイルスから避難するだけで、其れ以外何の取り得もない煩わしい規制だと思っていた・・・ ウイルスに依る禍其のものは多数の人々を死滅させ、場合によっては、人間社会をも破滅させ兼ねぬ実に恐ろしものであるだけに、其れを防ぐ効果を期待する自粛生活にも亦、禍と云う敵に負けぬ位の普段の生活ではとても有り得ない、誰からも干渉されぬ貴重な時間や空間があったのだ・・・ ウイルスに依るの禍を克服した後に、歴史上の大発見や、画期的な新時代を実現、提供して来た偉人達は、全て此の空間や時間を活用した者達ではなかったのか?・・・と天声人語は暗に語っている。後世に名を残す様な偉人達は其の時間と空間を活用し、自己が本来持ち合わせている才能の下、誰もが想像さえし得ない素晴らしいものを見つけ出し、次世代に提供して来ていたのでは?と思う。 vcm_s_kf_m160_160x106.jpg
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日米修好通商条約 [史実]

私達が日本史で学んだ日米修好条約は不平等で稀代の悪条約とされていた然し、現在では、此の条約も見直されて、此の条約があったればこそ、我が国は清国を始め、インドや東南アジア諸国の様に 西欧列強の餌食になもらず、植民地にもされずに、近代国家として独立存続する事が出来たと考える人も多くなっている。  何故ならば 、日米修好通商条約はアメリカ側に領事裁判権を認め、日本に関税自主権が無かった事等から、一般に不平等条約と云われるが、条約の付則第七則で定められた関税率は、漁具、建材、食料などは5%の低率関税であったが、それ以外は20%であり、酒類は35%の高関税であった。又、第二条に「日本國と欧羅巴中の或る國との間にもし障り起る時は日本政府の囑に應し合衆國の大統領和親の媒となりて扱ふへし」と規定されており、・・・之は、欧羅巴列強と我が国の間に揉め事が発生した場合、アメリカが仲立ちをする事を宣言したもので、[安政5か国条約]の相手国(イギリス・フランス・オランダ・ロシア等欧羅巴列強)は我が国との間に揉め事が発生した場合にはアメリカ大統領を相手に交渉する事を覚悟せねばならず、中国や東南アジア諸国の様に、た易く自国に有利な取り決めをする事は不可能であった。

此の条約は大老井伊が締結し、13代将軍家定が署名したのだが、実は・・・尊王攘夷鎖国派の老中首座福山藩主安倍正弘がハリスとの交渉に行き詰り、困り果てた挙句、西欧列強の事情に明るい、アヘン戦争や植民地の状況を熟知し、最早、此処に至って鎖国継続は・国の行く末が危うい・と懸念する佐倉藩主・堀田備中の守正睦を老中首座に推挙し、タウンゼント・ハリスとの交渉全てを任せていた。・・・ 堀田は八方に手を尽くし此れを纏め上げ、締結寸前にあった。然し、尊王攘夷を旨とする公家八十八卿や、”備中には腹を切らせハリスは首を刎ねる!”と迄云う尊王攘夷の総帥、水戸の烈公「斉昭」の反攻は強烈であり、其の対応に苦労していた。・・・折しも、紀伊の慶福か水戸徳川斉昭の7男、一ツ橋慶喜か?第13代将軍家定の後継問題が勃発した。・・・堀田は之を利用し[斉昭」籠絡の為、慶喜を推挙する策に出た。其れを疎ましく思う紀伊の慶福を推していた将軍は、突如、堀田を罷免し、井伊直弼を大老に任じてしまった。条約は堀田正睦とタウンゼント・ハリスが纏め上げた儘の内容で井伊が締結する事になった。史上、此の条約に堀田正睦の名は無い。堀田が全てを成し遂げていたならば・・・やがて明治維新に繋がる・安政の大獄も桜田門外の変も避けられていただろう。 ・・・佐倉城址公園には此の条約を纏め上げた藩主の偉業を偲び、堀田正睦及びタウンゼント・ハリス両公の銅像が地元有志に依り建立されている。    国立歴史民俗博物館見学の際には四季の移ろいを鮮やかに映し出す此の公園を散策し是非ご一覧戴きたい。                                             

 


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