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戦後レジュームから脱却して何処へ向かう? [政治]

私達は今から約70年程前に新憲法を制定し、旧体制(戦前のレジーム)に決別し新しい国になることを誓った。之が戦後レジーム(戦後体制)である

此の新しい憲法に依る新体制の下で、我が国は国民一人一人を大切にする新しい日本に生まれ変った。国家権力に依る国民の教育や思想への介入も禁止した。又、海外で軍事力を行使する事もくい止めて来た。新憲法で国家権力を縛り、私達国民一人一人の権利や自由を守り、此の国の平和も守られてきた。戦後レジームから脱却すると云う事は、之等の価値を全て否定し、何処へ行き何を企むのか?理解できない。

先日、司馬遼太郎さんの没後20年を記念しNHK.TVで「この国のかたち」が放映された。 其の機会に同書を再読してみた。読み始めると間もなく...第1巻3.章”雑貨屋の帝国主義”で、以下は夢だったのかどうかは、わからない。としつつも、俺は「日本の近代」だと言い、それも1905年から1945年迄(日露戦争の勝利から太平洋戦争敗戦迄)の「俺を40年と呼んでくれ」と云っている「異胎」との逸話が出てくる「君は生きているのか」との問いかけに「俺は死んだと思っている。しかし見る人によっては、生きているだろう、もっとも人里へ降りて行って害をもたらすということはもうあるまいが」といった場面がある。そして、歴史もまた1個の人格として見られなくもない、日本史はその肉体も精神も十分に美しい。ただ、何かの変異がおこって遺伝学的な連続性を失うことがあれば「おれがそれだ」と此の異胎は云うのである。と繋がる。

日露戦争後5年にして韓国を合併し、独立を奪い、軍の一部に過ぎない参謀本部が天皇でさえ行使した事の無い統帥権を行使できると錯覚し、満州国を建国し、日中戦争に突入し、近隣諸国から爪弾きにされつつも列強を相手に大戦に臨み敗戦を迎える。果たして、此の「異胎」の「40年」(美しい日本の歴史が突然変異した日露戦争勝利から第2次世界大戦敗北迄)が向かうべき美しい国であって、戦後レジュームから脱却して向かうべき処なのか?この国のかたち」の作者に変り私は問いたい。




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えんや

安部首相は戦前の人です。
祖父の想いが生きてるんでしょう、はやく休ませてやりたいですね。
戦後70年の今はつらいでしょうから、、、。

by えんや (2016-02-25 20:35) 

つむじかぜ

えんやさんコメント有難う御座います。
確か首相のお祖父様は戦前商工大臣をなされた方でしたね。戦後は首相になられて安保条約締結に奔走為されましたね。司馬さんの「この国のかたち」の中に出てくる日本史に起きた「突然変異の40年」の後半に参謀本部が統帥権を握り憲法を超越していた時期にご活躍為された方です。此処で、今「美しい国日本」に憧れ、戦後レジュームから脱却したい気持ちになり、再び憲法の超法規的解釈をなされたのは血統の為される技とでも言うのでしょうか?
by つむじかぜ (2016-02-26 12:13) 

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